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2008年11月24日 (月)

朝はゆっくり 夜は夜星

 『朝は朝星、夜は夜星』 貧乏百姓の日暮しの様であるが、楽農夫・婦の山仕事のこと、朝は10時前に家を出て、「今日は2時半には切り上げよう」と山に入った。ところが山は人を呑むんですなぁ。お昼は1時。すぐさま山に入って1時間ちょっとの作業予定だったが、何となく薄暗くなって時計を見ると3時半。暗くなる前に急いで山を後にした。子供の遊びと何ら変わらない。時間など全く気にならない山仕事(遊び?)。今日も枝を払い、蔓を切り、雑小木を切る作業。山はきれいになりつつあるが、まだ2~3日はかかりそうである。楽農夫よりも楽農婦の方が入れ込んでおる。『山の神』の言葉があるが、妙に納得! 作業で難儀するのは蔓切り。いろんな種類の蔓がごちゃごちゃに絡んでいると大変である。それぞれ根本をたぐって切断しても、取り除くのは容易ではない。複雑に枝にからんだ蔓の除去はあきらめて、根本だけを切断する場面が少なくない。蔓との根競べになりそう。2~3年辛抱強く蔓刈りを続けるしかないようだ。くま笹と同じように兵糧攻めで退治しよう。 山の一番高いところに立つ山桜周辺は雑木を駆除した。来春のサクラがこれまた楽しみcherryblossom。 雪が積もらなければいつまでも山仕事が出来そう。結構大きなミズナラやダテカンバの木もあり、精霊が宿っているかもしれない。そんなこんなを思いながらの山遊びの1日でしたfullmoon

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2008年11月23日 (日)

98円の幸せ!

 朝9時、芸術館の棟方志功展のオープニングに参列、展示品もじっくり拝見した。 以前から棟方志功の絵には魅せられていたが、改めて高橋竹山(津軽じょんがら)、ねぷた、冷害に苦しんだ青森の人々の思い  とが重なっていることを感じた。大道芸のギリヤーク尼崎の踊りを初めて見たときに落涙を隠せなかった思いとも重なった志功の絵―深い味わいのある展覧会である。    帰宅して即 山へ。 刈り残していたオンコ林のくま笹刈りをして、即席ラーメンのお昼。 スーパーの特売で購入した98円のラーメンに芽キャベツを入れて熱々のランチ! 寒いこの時期には何よりのご馳走である。冬支度を終えた畑を見ながらの昼食は98円ではあるが、心の底から幸せ!  食後はすぐ山へ。間伐・枝おろし・蔦切りに我を忘れ、気付いたら薄暗くなっていた。しっかり仕事(遊び?)したので、「今日は外食しようか?」と家外に言うと、予想に反して「今日は3連休で混んでいると思うから家で食べよう」の反応。で、帰宅してお風呂、夕食作り(楽農夫の仕事なのだ!)、千秋楽の大相撲を見ながらお湯割り2杯、 ―  夕食後は 寝転んで伸介司会の『カンボジアに学校を建てるためのオークション』をついに最後まで見てしまった。良い企画の番組ですなぁ。カンボジアの子供達の澄んだ目、作品を提供した人とオークションに参加している人々の善意―こんな企画を増やして欲しいと思いますね。番組の中で「カンボジアでは1ドルで1日食べていける」との話。私のお昼とほぼ同じ金額なのです。98円の幸せを噛みしめなおした夜。今日にbeersign01

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2008年11月22日 (土)

にわか山師

 昨日は我家の「山ノ神」と雑木林に分け入り、今期4回目の枝打ち、間伐、蔓切りなどの山作業をした。切った枝などは隣地との境界線沿いに置いて境界表示と下草刈りの環境作りを兼ねている。我山には湧水による池があるため、その危険表示の意味もある。昨年末以来放置していた山には、あと数日楽しめるほどの作業があるが、手を入れた所の木々が何となくうれしそうに見えるから不思議。間伐は将来成長できないと思われる木や林中の視界を妨げる小木としている。枝打ちも基本は林中の視界を良くするため。間伐、枝打ち、下草刈りを終えたところは理髪直後みたいにスッキリした様子になっている。作業で気付くのは蔦の驚くべき生命力! なるべく根本から切るようにしているが、再生のスピードはまさに驚愕するほどである。立ち木を絞め殺す蔦と思えば憎いが、懸命に命を繋ごうとしている蔦を思えば、切り取る時には心痛む。誠に複雑な心境なのである。自然に枯れる木もある。何故だろうと周りを眺めても合点がいくことはほとんど無い。 思えば春から秋にかけてこの山で命を繋ぎ、時をすごす動物が沢山いることだろう。落葉して裸になった木々を仰ぎながら、来春の賑わいを想像し心中ニッコリの山師である。 売り物にはならない雑木達であるが、気持ち良い春の目覚めをしてもらう為に明日も山作業に行こうscissorsclub

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2008年11月21日 (金)

涙のドライブ

 表題を見て『ん!』と思う方もいらっしゃるだろう。 60半ばの恥かもしれないが、1人ドライブの車内の記録は絶対に残せない。と言うのは音楽に涙する場だから。 東北海道の道路は郊外に出ると信号もなく淡々と走れる空間。ちょっとした1人ドライブのときは好きなCDとMDを聴きながら、そして茫々たる風景に圧倒されながら、遠く離れた娘や亡くなった母、昔日の事々を思う。誰に遠慮もなく涙できる場なのである。岸洋子、さだまさし、アンデスの音楽、モシリ(アイヌの音楽)、高橋竹山(津軽三味線)などが定番。喜多郎も良く聴く。 この楽しみは大都会の方にはお勧めできない。眼前朦朧としても大丈夫な環境が必須の要件だからである。さだまさしの『風に向って立つライオン』の最後の切ない一語に涙しながら、「若いときの男ってそんなもんだ」と自分自身に言い聞かせることが何度あったろうか。 若い時には気付かなかった涙もろい自分になっているのは歳のせいかもしれないが、それはそれなりに大事にしようと思っている。今日は『泣のドライブ』にはならない! 隣りにもうすぐ40年になる(涙を見せられない)家外がいるから! 

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2008年11月19日 (水)

人間学! (横井小楠の言に思う)

 『篤姫』を通した江戸時代末期の大河ドラマもいよいよ終末を迎えようとしている。今とは比較にならないほど海外情報の希薄な時代に、肥後出身の横井小楠は驚くべき洞察で西洋を見ていたらしい。  彼の慶応元年(1865年)の発言に曰く

 西洋の学は事業上の学問にすぎない。かれらの学意によれば事業はますます開けるが、心徳の学がなく人情を解せず、したがって交易上の談判にしても事実や約束だけを盾にとり理詰めでくるのでついには戦争となる。人情を知っていれば、戦争の惨禍は避けられるはず」     恐るべき卓見! である。

そしてこの横井小楠に対する勝海舟の評 : 『おれは、今までに天下で恐ろしいものを2人見た。それは 横井小楠西郷南洲だ』    

 判断力とか洞察力というものは学歴も溢れる情報も要らないのではないか? 浅薄な意見・議論が横行する現代に最も欠けているもの―それは哲学、平たく言えば『人間についての深い考察』ではないだろうかと思っている。社会・国など人間が作っている集団とその歴史は、構成分子たる“人間”の理解なしに至当な評価はできない。操作された情報(人間が介在した情報資料)をいくら積み重ねても、正しい結論は見出せないと思う。エホバ(ヤハゥエ)、キリスト、マホメット、ブッダなどの教え=教義も深い思索から出たもので、教科書や学校から出たものではないことを考えると、人間についての考察が判断力の最重要な要素ではないか―150年前の横井小楠の言はそんなことを教えているように思う。そしてその人間は、自分自身を内省してみても「真にいい加減な動物」なのである。typhoon    

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2008年11月16日 (日)

白糠漁組への応援歌

 行きつけの飲屋さんで遭遇した方のお話を横で聞いているうちに、白糠漁組の方であることがわかった。トツトツと語る語り口ながら、並々ならぬ熱い思いを感じさせる方である。日頃から持っていたシシャモへの思いに意を強くした出会いであった。 そもそも『シシャモ』は道東太平洋岸だけに生息する、世界的にも“珍魚”と言ってよい小魚であるが、ニセモノの横行で本物の価値が薄められたような魚である。秋に川を遡上して産卵するが、遡上直前の河口付近で獲れる通称「あぶらシシャモ」の美味さも意見一致! 私は釣キチのN氏から秋の盛期に“釣シシャモ”を何回もいただくが、味噌汁の具として絶品だし、さっと甘辛煮にすると北の魚らしくない上品な逸品となる。テンプラも絶品! もちろん一夜干しの美味さは格別! 「鵡川のシシャモ」が有名になっているが、大半の漁場は道東それも白糠~釧路沖なのである。こんな上品な魚を他所のブランドにしておくのはもったいないと思っていた矢先の出会いであったから、お酒はドンドン減った 大量に獲った(獲れた)魚をトラックで加工地に運ぶ『運搬漁業』をいい加減に卒業しないと、この地の未来はないと思っている。この思いも同じであった。 志ある方はいるものですね。 この志を忘れた人が居座っているのが当地の中心地でもある釧路ではないか? そんな思いをぬぐいされないでいる。

 温暖化を嘆いて、不漁を叫んでいても何らの解決にはならない。厚岸の取り組み、白糠・浜中の付加価値向上の奮闘ぶりが将来実を結ぶことを祈らずにはおれない。 天然の魚を産地から直接お届けできるシステムを作ってほしい ― 応援歌を歌い続けたいcancer

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2008年11月13日 (木)

厚岸漁組長の志!!

 一昨日の『釧新懇話会』なる勉強会の講師は厚岸漁業組合長であった。「大黒さんま」や「カキのシングルシード」など道東漁業グラウンドでクリーンヒットを続けている厚岸漁組、期待に違わず志の高さに感心する1時間であった。ソフト面から付加価値を高めるという永年のご苦労に改めて敬意を表したい。同じサンマの付加価値をいかに高めるか、長昆布のネーミングの統一発信、農業組合との協同など地域上げての地場産品市場の拡大、いずれもこの地と地場産品を愛するからこそ出てくるアイデアである。謙虚な中にも迫力ある講話で、何とか大学教授の耳障りの良い話よりもはるかに中味の濃い、心打たれる内容であった。口先三寸の話を得意とする「エセ学者」や「芸能者」におもねることはない。身代をかけて戦ってきた方の一言一言は重い! こんな方こそ大事にして、リーダーを務めていただきたいもの。そんなうれしい勉強会でした。 かねてからお付き合いのあるウニ取扱い会社経営のH氏も旺盛な研究心とバイタリティで新たな世界を拓こうとしておられる。道東の歴史はこんな方々が作っていくのだろう。 声援しか送れない自分が情けないbearing

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ジャーナルとスポンサー

 「厚労省たたき」を頭にきた奥田氏(前トヨタ社長)がTVのスポンサーを降りようかと呟いたとのニュースがあった。かねてからジャーナルのアホさを助長している大きな要因がスポンサーである企業にもあると思っているので喝采した。出来の悪いジャーナル界の悪行がしばしば表ざたになるが、それを可能にしているのは資金源たる企業にも責任がある。個人的悪行なら影響もたいした事はないが、世論=国を左右するような大事な事にも低レベルの反応しか出来ないジャーナリストをノウノウとのさばらせているのは、突き詰めれば企業の資金提供があるからである。企業は自らの利益のためにジャーナルを使っているつもりだろうが、企業の基盤でもある国や国民の腐敗に手を貸していては、永く存在して社会のお役に立つという企業の存立軸さえ崩壊する危険性がある。『メセナ』なる格好の良い言葉で社会貢献を標榜したいのだろうが、利益追求の後ろめたさの言い訳とも言える。“社会貢献”の視点からジャーナル界への資金提供をよくよく考えて欲しいと思う。  さらに突き詰めていくと、「一億総白痴」にしているのはジャーナルであり、それを支えているのはスポンサーたる企業である。 そのジャーナル界の雄=NHKの思いあがりもしばしば指摘されるが、人間の不完全性をもって許されるものではないと思っている。資本主義社会のアダ花とも言えるジャーナルの愚かさは自分が立っている社会さえ破壊してしまうのかもしれない。奥田氏の発言を「まあまあ」ととりなしたとされる輩こそ「獅子身中の虫」ではないか? 

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2008年11月 3日 (月)

田母神論文は間違いか?

 前航空幕僚長 田母神空将が制服を脱がされた。応募した懸賞論文がその原因であるが、全文を読んでみて彼の主張に問題は無い! 問題にするわが国のゆがめられた歴史観(自虐史観といって良い)こそ問題にすべきではないかと思う。 戦後63年も経ってなほ、歴史上の自己位置評定が出来ない国こそおかしい。 アメリカの対日弱化政策を金科玉条としたきた政治・文化・教育・経済などのゆがみが今の「誇れない日本」を作っていると断言しても良いくらいではないか? 東南アジア諸国を日本人として旅して、「憎っくき侵略国家」と決め付けられるような場に出会ったこともない。過っての列強による植民地政策=侵略と日本の取った対外政策には大きな開きがあることは歴史の事実であり、何もかもを『悪』とする風潮は、まさに自虐史観によるものと言わざるをえない。 懸賞論文が限られた字数での主張のため、説明不足を感じるところもあるが、じっくり読んでみて決しておかしな主張ではない。 これを政争の具にしようとする輩の方が愚である。                 多くの方々に田母神論文を読んで欲しいと思う。 発表時期の問題はあるだろうが、栄職を投げ打っての発言には賛同するものである。rock

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2008年11月 2日 (日)

和顔布施の人

 我家から楽農園(私の菜園)まで車で12~3分であるが、ほとんど毎回出会う(すれ違う)年配の人がいる。推察するに楽農園近くの住まいから約8km離れた孫の住まいを訪ねているのではないか。暖かい季節は杖を持って歩き、早春や秋には自転車に乗っている。気付き始めはその笑顔。まさに仏教で言う『和顔』なのである。最初は単なる散歩かな?と思ってすれ違っていたが、行きも帰りも何ともいえない“幸せそうな顔”で真直ぐ前を見据えて進んでいるのを見て、「お孫さんとお父さんを大事にしてくれる嫁に出した娘さんに会いに行く」と想像するのが一番合点がいく。朝は9時から10時ごろ、杖はつかず背にあててスタスタと歩き、午後4時前後には帰路にある。行きも帰りも『和顔sign01 「ああ、今日もうれしい1日だったんだなぁ」と想像して、すれ違う度にこちらも幸せをいただくのである。 布施の第一と言われる『和顔布施』を行じておられる。根室への国道についている歩道のこと、ほとんど人は歩いていない。その歩道を暑い夏も杖を背にしてニッコリと歩き、この季節は自転車(ママチャリ)をニッコリしながら走らせている。殺風景な風景に温風がゆっくりと通り過ぎていく―そんな光景なのである。 すれ違う車上の人を何とも言えない暖かい気持ちにさせている『ニッコリおじさん』がいつまでも元気であることを密かに願い、『ニッコリおじさん』に近づきたいと願っている。notes (*^-^)

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