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2009年1月28日 (水)

鎌倉大仏参拝

 日曜日をはさんだ幸運の東京出張。 前から気になっていた鎌倉大仏に参拝した。 昭和37年春、全寮制で最初の引率外出(!)が鎌倉であった。大仏さんを初めて参拝して人生のスタートに祈った記憶がある。 それから47年、現在の幸せな日々を与えられていることの報告とお礼を申し上げたい―今回の参拝の目的です。  1月とは言え快晴の爽やかな日曜日、水仙で有名な瑞泉寺参拝の後、大仏さんへ。 空気も背景の緑もすっきりした中に大仏さんは変わらず鎮座しておられた。こころから感謝申しあげた。    駅へのバスに乗ると見慣れた1年生の制服姿の3人と同席。46年後輩になる若者である。懐かしさもあって声をかけたが、爽やかな応対に好感を持った。       鎌倉を歩いて思うこと①歴史の臭い②いつでもお客が多い③狭い  特に③は北海道人には息苦しい! 諸所に立派な邸宅があるが、家内曰く「こんな不便な狭いところがどうしていいんだろう?」 私共も完全に北海道人に成っているようです。盆栽のような鎌倉の町には住めないなぁ ― が実感。  と言いながら、また機会があれば訪ねてみたい所でもある。 早めに横浜に帰り40分のクルーズと氷川丸見学、人間の欲の塊と言って良い街並みと、夢を運んだ氷川丸の70年、横浜もなかなか良いものです。点と線の動きしかしなかった現役以来の出張とは一味異なる出張でした。      大仏さんへの報告ができて今ホットしています。      合掌

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2009年1月20日 (火)

驚きのジンギスカン!!

 別海町のカネカタカハシという会社の方から『自信作のジンギスカン』と一言添えて味付きジンギスカンを昨年末いただき冷凍保存していた。本日その内の1つ「厚切りロース」を食べてビックリsign01  最早ジンギスカンcapricornusではない  厚みがあり、柔らかく、いわゆる臭みがない! 『ラムステーキ』と言った方が良い。 以前にも研究途上のコメント付きでいただいたことがあるが、格段に向上した商品になっている。 いやぁ本当に驚いた。 これなら贈答品として充分使える。 ジンギスカンの食べ方ではなく、フライパンでサット焼いただけで美味しいのだ!  地道な努力をしている方がいるーーー脱帽そして敬服!   楽農夫がいくら説明しても充分ではないと思いますから、 興味のある方は  http://www.kita-1.com/ をご覧下さい。これはお勧めですね。マトンのイメージが「蒙古」から「フランス」に変わるのではないでしょうか。sign03

 

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2009年1月19日 (月)

若さに圧倒される!

 昨年に続き、大卒の幹部候補生と2人の先輩計11名を我家にお招きできた。 楽農夫の42年後輩にあたる若者達である。これまでの経験から恒例の餃子パーテイを計画、人数から40人分準備すれば大丈夫と判断。楽農園産のジャガイモの明太子和えと口直しの大根と梅干の和え物・ザーサイとネギの中華風炒め、最後に赤飯を準備した。 自己紹介から始まったワイワイの3時間余wineが経ったころ、裏方の家内の対応がおかしいのに気付いた。 聞いてビックリ!! 何と準備した全ての食べ物どころか、冷蔵庫にあった漬物や缶詰まで動員して、最早お出しするものが無いとのこと。 本当にビックリした。そして家内共々現況を皆さんに伝え、爆笑のうちに宴を終えた。 食べたりなかった分は来月再度計画することになったが、こんなにうれしい宴は久しぶりである。若者達を見送ったあと、家内と若者の食いっぷりの良さに感動し大笑いした。 食べっぷりの良さも嬉しかったが、北大・東北大・一橋大など防大以外の出身候補生と違和感なく接する雰囲気はことのほか嬉しかった。これから難しい任務、特に海外任務の拡大が予想されるときにいろいろな勉強をしてきた若者が結束して当たってくれることを心強く思い、これら若者にとって充実した良い人生になることを祈ることでした。 『頑張れ!』そして『幸運を祈る!』・・・・・老兵に出来ることはただ祈るのみであるbell。  さ~て次回は何人前準備しようかな~~confident

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2009年1月18日 (日)

国技の品格

 結論から言えば「アサシュウリュウ」に横綱の品格は無い!! こんなろくでもない奴を横綱にしたことはわが国の国技の汚点になるだろう。 一日も早く引退すべきだと思っている。 20台で何もかも満点の人物などできるわけが無いことも理解しているが、アサショウリュウ(漢字を当てはめるのも気分が悪い)を横綱にしたのは相撲協会の歴史的汚点になるだろう。 今時の「軽い若者」相応ではあるが、横綱を張る修養が出来ていない。いわゆる「年相応」の人間ではあるが、「地位相当」ではないということ。片や白鵬はほとんど同年齢でありながら、懸命に横綱の心を守ろうとしている。『地位相応』が白鵬。その格差はあまりにも大きい。 横綱とは何か?  勝負だけで評価する相撲であるなら、『国技』をはずすべき。相撲道という言葉があるならば『道』の意味をしっかり踏まえてほしい。 愚かな横綱の一日も早い引退を祈りたい。場所中の毎日が気分が悪い。  酔っぱらいのたわ言ではないのですangry!! 大部酔っ払ってはいますが――bearing 

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2009年1月16日 (金)

爽やかな夫婦

 既述『北海道人に成りきった男』の奥方が東京から熊牛に見えておいでになってると聞き、このアッパレな男の奥方とは??― 楽農夫は興味津々を押えきれず、昨日熊牛に走った。 ちょうど1時間のドライブ中あれこれと想像していたが、予想はほぼ的中した!楽農夫の女性感もやっとこの年になって当たるようになった。 同じ教師だったとのこと。立ち振る舞い、話題などこのあたりの教師とはちょっと違う印象は話が進むほどに納得! こんな夫婦の教え子は運が良かったなぁと思うことでした。 教師は教科書を教えれば良いものではなく、全人格で感化を与えることにあるように思っていたからである。その意味で志高い教師の与える影響は大変なものである。 楽農夫も鹿児島のド田舎の小学校・中学校で多くの先生の教示を受けた。戦後の教師不足の時代で大学を出ていない教師も沢山いたにも拘らず、『仰ぎ見る師』を何人も経験した。 その後の人生にこれらの教師の教えがどれほど重かったことか! 今、我家の近くに教育大学があり学生をよく見かけるが、「ん!」という顔になかなか会わない。たまに爽やかな学生に会うと救われた思いがする。 楽農夫も部下を持つ職域に長くいたためか「部下を育てる、後輩の師となる」ことの難しさを体験してきた。そんな思いをぶつけられるご夫婦に出会い、ことのほかうれしい1日であった。 諸所凍結した帰路を走りながら心温まる思いをいただいた。 さすが我同級生sign03

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2009年1月15日 (木)

『不殺生戒』の真意は何か?

 裁判員制度に関連して仏教の『不殺生戒』が話題に上ることが多くなった。『戒』に思いを致す良い機会になっていると思うが、そもそも『不殺生戒』の真意はどこにあるのだろうか?仏教では動植物どころか全てのものに生命があると解釈している。とすれば我々は日々間違いなく『不殺生戒』を犯していることになる。食物の元は全て生き物であることは誰でも理解している。その命をいただいて我々は生きているのである。一切の生命を殺してはいけないとするならば、人間は生きていけないし、仏陀も生きていなかったはず。とすれば『不殺生戒』の真意は単に他の生命を殺すな―ということではない。一言で言うならば「ムダに生命を奪ってはいけない」、「他の生命をいただいていることへの感謝と畏敬の念を忘れてはいけない」と言うことであろう。ここから考えれば、『不殺生戒』を盾にした裁判員制度への反対は単純に過ぎるように思う。善光寺の和尚の見解も『不殺生戒』からの裁判員制度批判ではなく、もっと深い仏教の心からのものである。その見解を理解できるものの、混沌とした人間社会を律している法律の規制の下で生きている現実の我々が、法律に反する選択をすることへの矛盾を解決していないように思う。わが師スマナサーラ長老の見解は前回紹介しましたが、その心はまさに苦渋の判断から出されたものと受け止めている。1人の人間として、法治社会に生きている人間として、法律(大多数の平安のために定められているという規律)に従うことは致し方ないこと。決して喜んで人を裁くものではないのです。殺人者を放置して更なる被害者が出ることの方が仏教徒としては罪が重いのでは? 他人が裁いてくれるから知らん振りする―これも仏教徒として許せない。『生きとし生けるものが幸せでありますように』と祈る心は決してノンポリであれ―と言っているのではないと思います。 にわかに頻出する『不殺生戒』に仏教のこころにまで思いを深めてほしい・・・・楽農夫&迷僧の思いです。empty            合掌

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2009年1月13日 (火)

裁判員制度と仏教

浄土真宗はじめ多くの仏教宗派は新しい裁判員制度について明確な指針を示さず、「検討中」とか「議論中」と言って口を濁している。これは仏教の本来の姿からおかしい。そもそも仏教は人間の日々の生活に直結する教え―如何に生きるべきかを教える―なのである。にも拘らず人々の「裁判員制度への参加」についての迷いに応えず、逃げの姿勢とも見える態度をとっていることは卑怯とも言える。 楽農夫も仏教徒として如何に対応するかを迷い、考えていたところ、心服するテーラワーダ仏教教会の長老スマナサーラ師が会員に配布している月刊誌上で明確に指針を示された。 仏教的に判断するならば『召喚状が来たら行くしかないのです。行ったならば、自分の仕事を完璧にこなすしかないのです。』と明言されている。「自分の好み・思考を全く導入しないで、客観的に裁判で明らかになった証拠だけを参考にして判断すること。その結果被告人が死刑の量刑になっても、決してある特定の人間を殺す目的で判決を下したことにはならない。」とも付言されています。前言には法律の持つ不完全性にも言及されながら、「法律に素直に従うことも、仏教的な生き方の一つ」と明言されている。 私はこれが仏教の師のあり方だと思う。 『不殺生戒』を盾にして望まないことから逃げようとしている大方の宗派の指導者は仏教を何と考えているのだろうか? この『逃げ』が葬式仏教と揶揄されるレベルにまで品格を下げている原因ではないか? 人間の不完全さを熟知しながら、なお人間社会の中であるべき生き方を追う―そのための仏教ではないか? お釈迦様とその弟子達の苦闘から出てきた教え=仏教=の基本に返って、各宗派が裁判員制度に指針を出すべきだと思っている。

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2009年1月10日 (土)

仏教徒 土光敏夫 

 楽農夫は以前「個人は質素に、社会は豊かに」と述べたことがあるが、『個人の生活は質素に、社会は豊かに』という土光さんの口癖が原典らしい。私の記憶違いである。    土光さんの生き方は調べれば調べるほど“仏教徒”のあるべき生き方である。たまたま「メザシと大根葉」の朝食が有名になったが、石川島播磨・東芝社長、経団連会長、政府の臨調会長というまさに財界トップの立場に長くいながら、奥さんとの2人の生活費は月10万円未満、古い2階建ての小さな家であったらしい。蓄財に興味なく、余剰はほとんど母親が創設した私学に寄附していたとのこと。 また自著の本も出していない。 早朝出勤、長時間勤務、バス・電車通勤、公私共に偉ぶらない・・・などなど知れば知るほど仏教徒として仰ぎ見る生きかたなのである。日蓮宗徒で法華経に親しんでおられたようであるが、造船疑獄の被疑者として取調べをした検事は、その生活ぶりと挙措容儀から「この人は悪い事はしていない!」と直感したばかりか、「もっと偉い人になる!」と畏敬の念を抱いたという。 淡々と役目を果して、後に何らの財も残さずに彼岸に渡る―これこそ仏教徒の生き方である。『悪を為さず、善を行い、心正しく 生きること これが仏教の教え』 と言う意味のお経があるが、土光さんはそのとおりに生きていたように思う。 戦後の混乱と「成長の裏の不正」の渦巻く時期のリーダーに土光さんが果した役割は計り知れないものがある。先代にこんな大人(たいじん)がいたことを感謝し、誇り、見習うべきではないか―と楽農夫は思っている。1億2千万の中には必ずこんな人物がいるはずである。第2・第3の土光出現を鶴首しているのが今の日本ではないでしょうか? rock

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2009年1月 9日 (金)

温かい 『旧友』

 数年ぶりに帰った鹿児島で1番のうれしい出来事は旧友に会えたこと。 楽農夫は中国から引き揚げてから、食を求めて鹿児島のあちこちに住んだ。小学校1年から5年までの正味4年間は桜島の伯父に養育されたが、その時に小さな小学校で同級生だったI君との音信が続いていた。そのI君は広島大学卒業後郷里の鹿児島で教職につき、すでに定年を迎えていた。鹿児島に帰るたびにI君に会いたくなる。 年末の時期で迷ったが、恐る恐る電話すると28日OK!の返事。当日は娘婿の送りでホテル近くの居酒屋で3時間余懇談したが、昔ながら名前(姓でなく)の呼び捨て。12歳から別々の人生を送ったのだから考え方も違って当然なのだが、お互いに遠慮なくぶつけ合う意見交換は“うれしい!”の一言に尽きた。聞くところによればI君は3年前に大病を患い、成功率1~2%の手術を受け生還したとのこと。そのリハビリも兼ねて菜園とゴルフを楽しんでいた。残された人生を一生懸命生きることと、相互訪問を約束して懇談を終えた。迎えは2番目の娘さん。I君からは想像できない、聡明さを隠しきれない美人である。楽農夫は思わず握手してしまったcoldsweats01。   そして今日、I君から「焼酎を送った」との電話。 楽農夫の後輩が集まることを覚えていて、間に合うように手配したとのコメント。ありがたい!! 子供のころの4年間が66歳の今に繋がっていることを心から感謝したい。旧友はありがたい!! 今はただその感謝の気持ちだけである。heart02   桜島、西郷南州先生、そして旧友・・・・故郷で迎えた年末は温かかった!heart

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2009年1月 4日 (日)

「ガザ」 に思う

 イスラエル軍のガザへの地上攻撃が開始されたと3日のニュース。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という本来同根(旧約聖書が原典)の宗教信者の地域が数千年も争いの場になっている。 いずれも人への『愛』と『平安』を説きながら、実態は復讐の渦の中にある。「非暴力無抵抗主義」の行き着いた先のインドでも流血事案が頻発し、隣国と軍備競争に明け暮れている。また実質的な植民地状態にあるアフリカの多くの国はいまだに内戦の悲惨な状態を脱していない。最も豊かな国といわれるアメリカの首都ワシントンでさえ夜道は安全でないという。わが国の平和ボケには到底理解できない現実であろうが、これが人間!人間の実態!なのである。この事実を冷静に見ながら、同じ轍を踏まないように施策していくこと―これが大人の考え方であろう。 観念主義の愚かなエセ学者や自腹を肥やすことに汲々としている政治屋・経営者が跋扈しているのは国民も同レベルということ。 自然を畏れ、人智の及ばざる領域を畏れ、人間のいい加減さに気付きながら、なほ『あるべき姿を追う』真摯な生き方に思いを致す時!  故郷鹿児島に帰って、桜島に、西郷先生・大久保・篤姫などの先達に圧倒され、靖国神社・浅草寺・柴又帝釈天に参拝しながら、今年の平安を祈る年末旅の余韻も消えぬうちの「ガザ」   ただただかの地の平安を祈りたいfuji  合掌

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