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2009年2月28日 (土)

野菜のミネラルは ?!

 縁があって『ミネラル』をちょっと調べてみた。その結果は驚くべき事態! 1992年のアースサミット(ブラジル)の「過去100年間における農地のミネラル枯渇度合い」と言う資料によれば北アメリカ85%減、アジア76%減、ヨーロッパ72%減、オセアニア55%減・・となっている。日本の注釈では化学肥料・農薬使用量から北アメリカよりもひどい状態とのこと。野菜が美味しくなく、栄養価も激減していることはよく言われるが、こんなにひどいとは思わなかった。1992年からさらに10年以上経過していることを考えれば、日本の農地にはほとんどミネラルは無い! ということである。 この原因は化学肥料・農薬多量使用にある。本来天然の草木にはバランスよくミネラルは含まれているのである。とくにご当地物の昆布(海草)はミネラルの母体とも言うべき海のミネラルをしっかり含んでいる。最近『海水農法』なる話もあるが、ミネラルを失った農地に海水からミネラルを補充しようとする方法のようである。  楽農夫としてはいよいよ菜園活動を強化せねばと思った次第。それにしても大変なことではある。 過日読んだ福岡正信著 自然農法『わら一本の革命』 に、アメリカの農林業についての痛烈な批判があった。一言で言えば「アメリカの土は死んでいる」と喝破しているのである。そして今回の資料 ― 自然を支配できるなどと生意気な考え方をしてきたアメリカ、そしてそれに追随してきた国々の土は今瀕死の状態にある。ミネラルを含まない作物=食物は単なるカロリー補充物であって、人間が健やかに生きていくための食物ではない。ミネラルは微少ではあるが生命維持のための活動のバランスを作っているのである。 この数日はちょっとショックでした。  さあ、ことしも真面目な野菜を作ろう。そして昆布も大事にいただこう。 この地に住んでいることに感謝しながら・・・・・・ 

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2009年2月27日 (金)

トンビにあぶらげ→農夫にサクラマス

 明後日から3月、道東のシバレの緩みを期待していた矢先、ツリキチ&ヤマキチのN氏から「去年ものだ~」との一言付きで見事な『サクラマス』をいただいた。 きれいに下処理されたものゆえ、劣化は最小限であろう。今晩のご馳走は即決定!。『サクラマスのカマの塩焼き』ですよ! これほど美味しい魚は滅多にない。我家の厚かましいお客さん=家外もサクラマスだけは捨てるところなくいただく。 もちろん頭も中骨もしっぽ もである。サケの頭などは「それ要らないから・・」と注文というか文句をいうのにである。 血統も育ちもそれほど差は無いと思われるが、サケ、カラフトマスとは格段の美味差である。自然の懐の深さを思うひと時です。 N氏と自然と幸運に感謝しつつご馳走をいただきましょう。読者の皆様すいませんねぇ~。 まっ、余命の短いことで勘弁してくだされぇ~  (舌なめずりしながら) 合掌

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2009年2月26日 (木)

海賊と海軍

インド洋に出没する海賊の対応に海上自衛隊が派遣されることになった。それも警職法の準用までおまけにして―。  わが国の危機対応の感覚はこの程度なのである。一言で言うならば「笑止千万」  開いた口がふさがらない心境である。警職法を持ち出すならば海上保安官の出番であろう。およそ軍が警察官職務執行法に規制される国がどこにあるのだろうか? 楽農夫も現役のはじめから「そのうちに是正される」と聞かされたが50年経過しての現実である。海賊と海軍が似たような時代もあったが、精々江戸時代終わりまでであろう。150年のタイムスリップと見れば納得できる事態ではあるが・・・・   過日に幹部候補生との懇談の時があったが、相当のレベルにある大卒を時間をかけて養成しなければ任務を果せない“軍”と国内法(警職法など)で守られている警察とは働く場が違うのである。守ってくれる法の無い場で如何に至当な(諸国の理解できる)行動・判断をするか―が軍であり、そのために先進諸国は高学歴の将校を養成しているのである。大学を出て数年も経たないうちに大きな署長(多くの部下と仕事がある)ができる分野と“軍”の違いがここにある。折角国費をかけて養成している組織、もっと効果的な使い方をしてほしいし、諸国が理解できないような状態にしておくことは国としても恥と思うべきと思う。いかがでしょうか?

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『善意に対する罪』 を新設すべき

 障害を装った(偽装した)詐欺事案が頻発している。国の福祉制度を悪用して給付を受けるこの種事案は真に卑劣な犯罪である。本来の『福祉』は善意に裏打ちされたものであり、本人の意思に関わらず障害を受けたり、生活の手段を奪われたりした人に援助の手を差し伸べるもの。この善意の制度を悪用した犯罪は通常の犯罪と同じに断じるべきではないと思う。以前にも述べたが『共業(ぐうごう)』(「自業自得」ではなく人間が作った原因ではあるが、直接関係の無いがその結果を負う)に遭った人を皆でかばうのが福祉の本旨である。言い換えれば全体の善意を基盤にしているのが福祉制度であり、これを悪用することは皆の善意を踏みにじる行為と言える。特定の人が特定の人をだますという犯罪とは分けて考えるべきではないか? この種犯罪の多発は多くの人々の善意を危うくするばかりか、支え合って生きる人間社会そのものを危うくするものだからである。「国家に対する反逆罪」の概念があるが『善意に対する反逆罪』の考え方を明確に打ち立てるべきではないか? この殺伐とした世情だからこそ人々の善意を大事にすべき時と思うのである。 こともあろうに、札幌では元道職員(それも福祉業務担当)がこの種容疑で逮捕された。もはや言葉もない! 仏教徒としては躊躇しながらも「死刑」相当と考える。こんな輩は現世に存在する価値も無い―と思うからである。「善意に対する罪」は「人間に対する罪」である。 仏様はこんな人も救えるとおっしゃっているが・・・・・・・              合掌

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2009年2月24日 (火)

無神経なリーダー

  消費者運動GPリーダーの方と席を隣りにすることがあった。私はこの手合いには昔から胡散臭さを感じているが、不幸にして今回もそうであった。 中には立派な方もおいでなのだが(こんな方は自ら汗をかいている)、私の感じでは100人中90人はいい加減な輩と思っている。何がいい加減かと言われれば『食を得る』ことがどういうことかの思索が浅すぎる―と言って良い。「消費者運動」の美名(かな?)に隠れ、本質を理解しようとしていない軽輩が多いということ。今回も食品の話で、「おかしな現状の元凶は流通にある」といってはばからない厚顔ぶり。 そんな浅はかな考え方で消費者運動をリードしているのだろうか?それもシャァーシャァーと物知り顔でノタマウのである。 カチン!ときましたね。消費者たる自分のレベルをほったらかして「流通」という他人に責任をかぶせるような言い方なのである。 流通に問題が無いとは思わないが、消費者の選択眼が流通の基本にある。「餃子事件」が良い例で、消費者が買わなければ「流通」はどうしようもないのである。海外のスーパーの野菜を見るべし。流通の本家とも言うべきアメリカでさえ、わが国のような“きれいすぎる野菜”は並んでいない。消費者が『野菜』とはどういうものかを知っているからである。野菜の相当な量が「曲がっている」とか「葉摺れ程度のきずがある」とかの理由で捨てられているのがわが国の現状。楽農夫としては許しがたいノーテンキのリーダーに『食を得ることの本質を勉強しなおしなさい!』と言い放った。 真に嘆かわしい!  東京のド真ん中での話しならまだ情状酌量の余地もあるが、自ら土に触れることが出来るこの地で、土も見たことも無いような思考しか出来ないのは“真剣に生きていない!”のでは? 消費者が利口にならなければ解決できない状態にあるのですが、これは自然を素直に見ればすぐにわかること。自然を素直に見て欲しい―楽農夫の願いです。 

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2009年2月23日 (月)

春一番作業は 『ぶどう棚』

 楽農園では毎年新種の導入を計画しているが、今年の新種の一つはぶどう。池田町から道東で露地栽培できるぶどう苗を購入して、栽培してみたいと思っている。栽培用のぶどう棚をどうすれば良いか―思案の結果、山葡萄栽培(池田町の改良品種の元は山葡萄らしい)の本からヒントを得て、平棚を作ることにした。畑全体の使い勝手から防風網に沿って幅2m長さ13m高さ2mの棚を単管パイプで作ろうと思うwrench。ここに2本のぶどうを植えて4~5年後にはたわわにぶどう房がぶら下がる様子を想像しているが、果たして上手く行きますかどうか? ともあれ、品種と棚は決まった。植え付けと管理の勉強がこれからであるが、何とも楽しい! スモモも2種類を植えようと思っている。ハスカップ、グミ、ブルーベリー、イチゴ、キイチゴ、アロニア、グーズベリー、りんごにスモモappleぶどうwineが加わるが果物をもっと増やしたいと思っている。作物も保存できる種類を増やしたい。ジャガイモ、ヤーコン、ニンジン、ニンニク、玉葱、花豆、隠元豆、アピオス、とうもろこし にくわえてパースニップを新しく栽培する予定。果物と保存作物、そしてハーブで自給率を高めたいのである。消費税dollarなど気にならない自給自足の生活が夢! 欲張り楽農夫の夢は尽きない。 農夫バンザイsign01 ヽ(´▽`)/ 

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若者よ 納得の人生を!

 3月任官の幹部候補生(隊付き中)8人と教官計10人の再訪を受け、楽しいひと時をいただいた。昨年末に続く来訪である。家外(内)が珍しく大量(自家製ジャガイモで何と62個)のコロッケを作り、楽農夫は鹿肉入り酢飯の混ぜご飯(某すし屋さんで教えていただいたレシピで美味しい!)6合、マカロニサラダ、燻製合鴨5羽を準備。宴が始まって1時間でコロッケと合鴨を食べつくし、あわてて予備のピーナツ・柿の種の出番。いやぁ~若者の食欲はすごい!! そして一生懸命の空気が心地よい。 お酒はそれほど減っていなかったが、自家製ハスカップ酒は好評であった。 3月に任官して道内の部隊にそれぞれ巣立つとのこと。これから2~3年は経験上勉強期間で部隊の役にはそれほど立たないだろうが、5年もすれば立派な幹部になるだろう。スッキリしない世の中での裏方役であるが、黙々と任務を果すであろう若者の前途に心からの声援を送りたい。そして40年後には自分の人生に納得して、落ち着いた淡々たる日々を迎えてくれれば良いなぁー と思うことでした。                  来訪の若者に幸運を!!             合掌

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2009年2月19日 (木)

「理解第一」が仏教

 flair『実証できてこそ真理』 仏様の教え=仏教の基本です。 にも拘らず??と思われる事々を「信ぜよ!」と強要する宗教が何と多いことか! 仏教の宗派にさえも「え??」と常識では理解できないことを後生大事にしている場面がありますね。 それらは真理ではありません。理解できなくても信ぜよ― とするなら『盲信せよ』と言うこと。仏様が最も戒めたことです。 仏教の歴史にはヒンズー教が強く影響しています。インドで生まれた仏教ですからその土着の信仰が影響しているのですね。インドの寺院に祭られている神と仏教寺院の仏様が似ていますよね。ゴータマシッダルータ(仏様の出家前)の出家のお話で「四苦」が有名ですが、仏様がヒンズーのカースト制(生まれながらの身分差)打破を生涯の課題にされたことはあまり強く主張されていません。 人間の尊厳を説き続けたのが仏様で、一度として『私を信ぜよ』と口にされたことはありません。生涯を通じて『真理を信ぜよ』と言い続けられたのですね。最期の言葉は 『自灯明 法灯明』(あなた自身教え真理を灯明にして修行しなさい。(『仏灯明』ではないのです!)そしてその第一歩は「理解」すること。「理解できる」ことが真理の第一条件と教えています。その視点でいろいろな宗教の教えを見てみると「??」と言う部分が相当にありますね。盲信からもし安寧(安心)が出来るとすればそれで良しとすべきでしょうか? 真理でなく「うそ」から生まれた安心・・・・私には受け入れられないのです。 自然に虚構(うそ)はありません。自然の一部である人間だけに「うそ」が許されるはずがありませんよね。いろいろなお話があるとき「それは実証できるか?」というフィルター感覚が大事なように思います。  仏様は他の宗教を否定していません。攻撃的な一部宗教との根本的な違いですね。何故否定しなかったのか―これまた興味のあるところです。(この後はちょっと仏教から離れます)  heart  合掌

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2009年2月15日 (日)

念仏(祈り)で往生できるか?

 まず答え―『出来ません   常識で考えてみてください。「いい加減に生きて(悪いこと、良くないことをやっていて)、念仏(祈り)を唱えたから極楽(天国)へ行ける」―と思いますか?もし、あなたがその振り分けをする立場だったらそんな人を極楽にやりますか?  仏教は『行い』が全てなのです。 善行≫悪行であれば極楽に近く、悪行≫善行は地獄に近いのです。常識で考えてもそうでしょう。 「あの世など無いからどうでも良い」と言う方は間違いなく往生できませんね。仏様はあの世(来世)があるとも、無いとも言っていません。何故なら死んだ経験が無いからです。ただもし来世があるならば善行を積んだ人は良い所に行き、悪行の人は悪いところに行く  と考えるのが常識ではないか と言っておられるのです。 そして善行を積んでいる人は現世でも幸せになっているから、二倍の幸せを得る―ともおっしゃっています。 悪を働いて懐を肥やしている人もいるでしょうが、その人の顔付きは皆さん想像できるでしょう? 決して良い顔にはなりませんよね。 そんな人が天国に行けるわけないでしょう。  「追善供養」しても亡くなった人には届きません。「追善供養」した人のやさしいこころはその人に戻るのです。  善行の功徳は善行をした人にあるのです。 こんなこと当たり前でしょう? こんな事々を常識的でない説明をして法事をさせ、お金を要求すること自体が悪業ではないかと思いますね。 それと「戒名」の怪! 仏様は一言も戒名を要求されていません。 お金の多寡(戒名の高低?)であの世が決まると本当に思いますか? あなたがその判断をする立場であるならそんなことは考えないでしょう。 あまりにもお金に係わる仏事が目につきませんか? 本来の仏教はそんなものではありません。二千数百年にわたる仏教の歴史はそれに携わった人間の歴史でもあります。悟れなかった人々(悟ろうとしてしていたと思います)が考えた理屈が今の多くの宗派の教義なのです。根は一つの仏教が今やおびただしい数の仏教宗派になっている―これ自体が??  仏教の勉強をしながらの思いですが、仏様は『常識』をおっしゃってます。   善行≫悪行(悪行は私共全てやっているのです)になるように現世を生きること―仏教の極意はこれに尽きるように思います。   簡単ではありませんが・・・・・    合掌

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2009年2月12日 (木)

莫妄想 ・・・・・

 修行中の禅僧で何を問われても『莫妄想』(まくもうそう)とだけしか応えなかったという話が残っています。「妄想をやめよ」とか「妄想から離れよ」との意味であり、人間の執着や煩悩を消し去るには妄想から離れることが何より―との言い分なのである。拙僧が仏教勉強のよりどころにしているテーラワーダ仏教でも妄想を離れる為に「ヴィバッサナー瞑想法」が極めて重要な方法として扱われている。難しい方法ではなく「ただただ自分の行動を実況する」だけなのである。このとき他の事々は一切考えずに実況に専念することが基本。言い換えれば雑念を絶って自分の行動だけに集中することなのです。このことによって妄想を絶つ方法なのです。簡単と思い勝ちですがやってみるとなかなか難しいのです。すぐ脱線したがるのですね。 東南アジアのお坊さんが黄色の袈裟を着てゆったり歩いている様子をご覧になっている方も多いでしょう。歩きながらヴィバッサナー瞑想をしていると思われます。日本では『座禅』が瞑想の重要な方法になっていますが、『歩き禅』も瞑想の一つの方法なのです。実況する行動は何でも良いのです。呼吸や歩きの実況が一般的なようですが、短時間よりも30分~1時間ぐらいを目途に試みてみてください。上手くいったときは言いようのない落ち着いた・軽やかな心境を感じるでしょう。 私達はいつもどうでもよい妄想を引きずっているらしいのですね。『明鏡止水』と言う言葉がありますが、妄想を絶ったときの心境なのかもしれません。 それが何の役に立つかって? こころが洗われるのです。素直になれると言ってもいいのでしょう。 私もまだ良く分かっていないのですが、念仏をひたすら唱えたりお経を一心不乱に唱えるなども妄想を絶つ効果があるのかもしれません。 教えを請われても 「喫茶去」(きっさこ)=お茶でも飲んで行け=としか言わなかった禅僧もいたらしい。禅問答には大変面白いものがありますね。解脱=悟りを求め生涯をかけて懸命の修行をしていた禅僧の一言には重みがあります。「こころを清く保つ=妄想から離れる ことが如何にむつかしいか」の裏返しを表現しているのかもしれません。empty

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2009年2月10日 (火)

『自他力』の生き方

 「自力」「他力」かの論争はわが国でも二千年以上続いている。日本の仏教が比叡山の天台宗を根本にしながら、多くの「自力」派と「他力」派に枝分かれして今も「こちらが正当」と主張しているのである。拙僧も仏教徒の1人であるが、日を追うに従ってこの白か黒かの主張に合点がいかない心境になっている。最初から他力の考え方はどうもしっくりしないし、仏教の根本思想からも離れているように思われる。本来、仏教はキリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、頼る神はいない(その意味では宗教ではない)。徹底した論理的思考を要求し、その結果悟る=覚悟することを教えている。宗教と言うよりも哲学と言った方がいい。この根本の思想=考え方 からすれば、本来は「自力」であるべきと思う。 ところが凡人そのものの拙僧は煩悩を捨てきれない―言い方を変えれば「人間臭さ」から抜け出せないのである。現世の時間もだんだん減ってきているが、時を経るにしたがって「悟れない、覚悟できない」自分を強く意識するようになっている。 にも拘らず仏様の教え=法 に同感して近づきたい思いを持ち続けているのである。こんな「人間」には『自他力』の考え方が合うのではないか? すなわちとことん『自力』を追うが、どうせ悟れないから最期は力尽きて「仏様ここまでしか出来ませんでした。最期は仏様にお任せします』という『他力』のかたち。 こんな考え方を善しとしてもらえれば、凡人楽農夫も「よ~し とことん頑張ってみるか!」という心境に素直になれそうに思うのである。 『自他力』仏教・・・いかがでしょうか?

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2009年2月 8日 (日)

は~るよ こい ♪

 「土方殺すにゃ刃物は要らぬ  雨の三日も降れば良い」・・・・・畑趣味の楽農夫にも共通した言葉です。 冬場の凍結した4ヶ月を楽しくすごす為に、いろいろ工夫しているがその一つは来るべき春に備えて種や苗を探すインターネット遊びです。今年の春のための種は当地のホームセンターで購入はちょっと難しいかな?と思われるものを選んで注文し、すべて揃った。 後は苗と芋類、一般的な野菜種を4月~5月はじめに入手すれば1年間楽しめることになる。 馬糞堆肥・米糠・過燐酸石灰(通常の石灰の代替品)・鶏糞など肥料の計算も出来たが、これらは4月になってからの入手になる。今年の新種は4月末に十勝池田町の即売(2日限り!)で購入予定の『ぶどう』。厳しい道東での露地栽培用に開発された「ご当地品種」である。もう一つは『スモモ』。これも露地に耐えられる品種は限られるようで、2品種を狙っている。加齢とともに耕作面積を縮小して植えっぱなしで良い果物や宿根草などを増やそうと考えている。 そんなこんなを遊び半分で研究(?)していると冬は意外に早く過ぎ去るように感じる。2月もあと20日。3月になればウズウズ虫が動き出し、4月になれば山菜が動き出す。 春はもうすぐです。「は~るよ 来い♪ミヨちゃんばかりでなく、じいちゃんの思いでもあるのですnote 

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2009年2月 7日 (土)

老人ホームに体験入居

heart04「介護付き有料老人ホーム」の体験入居なる話を聞いて、じゃじゃ馬夫婦は早速体験してみた。釧路に住み着いてアッというまに10年経過していることに気付いて、あと10数年はすぐにやってくると意見一致したからである。2泊3日 6食付で10500円の『ホーム』に入ってまずビックリ! そのあたりのビジネスホテルよりもきれいなエントランスホールと受付、部屋は事前の予想以上の広さと機能である。狭く息苦しいシングルのイメージは払拭された。食事は栄養・カロリー計算された『病気回復食』と言って良い。6食の食事、檜風呂、いつでもサービスされるコーヒー・紅茶などに大満足! 入居者(地元ばかりでなく東京など他所の方も何人もいるらしい)の雰囲気も悪くないし、介護を受けている様子も拝見できた。我家から車で5分程度、目の前に大きな本屋とスーパーもあり、その向うにこの町にちょっと自慢の春採湖。場所もグッドである。 これならこの「2泊3日」を何回もいいなぁ~と思ったが「体験入居は一回限り」とのこと。 本格的入居には費用がおおきなネックになるが、80半ばまで自立生活できればそれまでに準備できそうな額であるし、同じ会社が経営している東京都内の施設に比べれば半分以下の費用で入居できる。じゃじゃ馬夫婦は先々の落ち着き先の有力候補を得た思いである。それまでは楽農夫をゆっくり楽しませていただこう。 人間は必ず老い、人の世話(介護)を受けて人生を終わる。その最も気疲れする最後の数年をお願いできる場を持てることは何よりも安心である。 さてあと10数年、質素に暮らして本格入居の準備をして行こう! confident   ご同輩の皆様  体験入居はお勧めですよnote

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2009年2月 4日 (水)

超然たれ! 高級官僚

 天下り批判に象徴される公務員改革がかしましい。 天下りは高級官僚のピラミッド構成から定年前に辞めさせられるために派生したとの説があるが、そもそも高級官僚とは本省庁の課長級以上を言うらしい。とすれば行政職(一)<事務職>の10級以上がそれに当たるはず。(本省庁の課長は10級、11級に当たる) 通常なら3000万円以上の退職金をいただき、年金も年間300万円以上はあるはず。また公務員として大変恵まれた人生を与えられていたと思う。その仕事振りの過酷なことも承知しているが、退職後の生き方は後輩や公務員の大半を占める中級以下の方々、地方公務員に大きな影響を与えることを再認識すべきであろう。わずかな高級官僚の見苦しい生き様が地方公務員の天下りをさらにひどい状況にしている(定年まで勤務してさらに天下っている)のが現実である。公務員の規範となるべき国家公務員のトップクラスの生き方は全ての公務員に影響するのです。 国会の論議は高級官僚の天下りだけでなく、地方公務員の天下りの害まで考慮した議論であるべき。    

 そこで提案したい。高級官僚の公務員定年までの処遇は工夫するとして、その後は「晴耕雨読」の生活を選んで欲しい。 60半ばを過ぎて大金を欲しがる必要もあるまい。日々の野菜などを自給できれば悠然と生きていけるはずである。もちろんこのためには現役時の生活は質素でなければならない。贅沢三昧の生活をしていて定年後の悠々の日々を望むこと自体が間違い。 ほどほどの現役生活をすれば定年までには住家を得られるはずである。なにも都心の億ションに住む必要も無い。夫婦2人の住家に豪邸は要らないばかりか、かえって見苦しいと拙僧は思う。 質素な第二の人生は国民の指弾どころか尊敬を得られるものと思う。     清廉な生き方をトップが示せば全体もそれに倣うものである。『先ず槐よりはじめよ』が改革の基本でしょう。また、それを論う政治屋どもも我が身を見直すべき。低レベルの政治屋が跋扈するわが国で高尚な話は場違いの印象を持つ。こんな風潮になったのは『金銭至上主義』のゆえ。人間としての価値観を見直さねば根本的な解決にはならないと思う―ごはんをまずくするTVを見ながらの思いです。

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2009年2月 3日 (火)

曽野綾子さんの卓見

 飛行機に乗る楽しみの一つはいろんな新聞を読めること。一番に選ぶのは「産経新聞」である。釧路では購読できない新聞であることと、昔から時世や世論に囚われない記事が多いと思っているからである。今回は痛快な記事に出会った。曽野綾子さんの論説記事である。膝を打った内容に①オバマ大統領のアフガン介入についての痛烈な批判(イラクよりも困難な状況になることを予測) ②アメリカ型民主主義は万能ではないとの主張(中東やアフガニスタンなど族長支配の社会を悪と決め付けることの愚) ③日本人の非常識への言及(困難な情勢の中での護憲一辺倒の愚) をきっぱりと言い切っているのである。敬虔なクリスチャンでもある曽野さんに似つかわしからぬ明言であるが、迷僧の日頃の思いをビシッと解説していただいた感じである。およそ“人間”“その歴史”を素直に見れば曽野さんの主張が正当であると思う。こんなスッキリした考え方が出来ないのは「陰のある思考=素直でない思考」をしているからではないか? 旧約聖書以前からの“人間”を静かに見れば、現在のごちゃごちゃ世相の交通整理に役立つと思っている。     アメリカの混沌(乱)はアメリカ自身が作ったもので他の誰にも責任はない。金融工学』なる馬鹿な領域を考えたアメリカの知(痴)性は愚以外の何物でもない! わが国の“自称知性派”も完全にアメリカかぶれであるから、これらの輩が彼岸に渡るまで(彼岸には渡れないと思っているが)将来は暗いと言わざるを得ない。 二千数百年を乗り越えてきた日本人の知恵に思いを致すべき時にあると思う。過ってマレーシアのマハティール首相は国作りのスローガンに『ルック・イースト』を掲げていた。アメリカが全てのような時世に「東洋とくに日本を見習え」と言い続け、見事な国作りをされた。その日本が自分の歴史を糞尿のごとく嫌うのは何故? 迷僧が「エセ学者」という下品な言葉を使いたくなる根がそこにある。愚か(知能ではなく志が悪い という意味)な学者・政治屋がそのことに気付いてくれるのは何時のことか・・・・長生きしたくもあり、したくもない複雑な心境をちょっと前向きにしてもらった曽野綾子さんの主張ではあった。up

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